2010年5月30日日曜日

ドイツ産ホワイトアスパラ

毎年ドイツから空輸でお取り寄せしているという方から、去年に続き、今年もおすそ分けいただいたホワイトアスパラです。ありがとうございます。私はこのアスパラガスから多くを知りました。
写真のアスパラガスは、塩とバターと少量の砂糖を入れた湯で茹でただけです。一緒に茹でると香りが立つというピーラーで剥いた皮も、うちではもったいないので食べちゃいます。最近では、日本のスーパーにも国産のホワイトアスパラが並ぶようになって来ましたよね。でも、ドイツのは種類が違うのではないかと思うほど太いです。この三日ほど前に食べた国産ホワイトアスパラガスの時はニンニクとオリーブオイルで香りをつけたマヨネーズをかけて食べましたが、今回はアスパラガスそのものの香りが良いのでこのまま頂きました。とろりとして美味しい。ドイツではこの香りをもって春の到来を喜ぶのだといいます。日本で言えばタケノコの感覚でしょうか。 (下の写真は息子と採ってきたタケノコとベランダの山椒を入れた筍ご飯)
生前、父がホワイトアスパラの缶詰が好物だったことを想い出します。父は缶切で蓋を開けると、まず、中の汁をグラスにあけ飲み干すのです。私にはそれがどうもお行儀が悪いように思え、また、何故だか身体に悪いように感じられました。父が亡くなった後、一人暮らしをしていた部屋を掃除しているとアスパラの缶詰が出てきました。しばらく後、父を偲び、私たちはその缶詰を開け、父がしていたように汁を飲み、やはり部屋に残されていたシーバスリーガルと一緒にホワイトアスパラを食べました。静かで、懐かしく、悲しく、それは現実ではないような奇妙な時間でした。
父は大学時代を英国で過ごしました。ホワイトアスパラガスの缶詰が好きだったのは、その時の経験によるものだったに違いありません。ヨーロッパ産フレッシュホワイトアスパラガスを茹でて食べた経験から、「実はアスパラそのものよりも香り高い茹で汁(スープ)が感動的に美味い」という事を知っていたのです。父は行儀が悪かっただけではなかったのです。アスパラの缶詰のジュースを飲むことでその先に見えてくる青春の日々を懐かしんでいたのでしょう。私がそのことに気付いたのは、私が初めてドイツ産のフレッシュホワイトアスパラを食べた去年、それは父が亡くなってから8年も後のことでした。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2010年5月13日木曜日

恩人の訃報

今日の出来事です。電話口でその女性は「言いにくいのだけれど」と前置きをしてから私の恩人の名前を口にした。まさか、どうして、という想い、そして後悔。ずっと気になっていたのにどうしてこちらから連絡しなかったのだろう。くそっ、どうして。

私が最初の広告代理店に就職し、始めてのクライアントとなっていただけたのがその方の経営する美術画廊だった。出会って間もない頃、その方が霞会館で昼食をご馳走してくださった。社会人になりたてで世間知らずの私はそこがどのような場所かも全く分からなかった。「かぞく会館」って家族全員が会員になっているってことかな?という感じであった。それどころか、「食前酒はいかがしますか?」とソムリエに聞かれ、ドギマギし、こういうときは何か頼まなくてはいけないものだと勘違いした私は「では、シェリー酒を。」と格好つけて答えたのだ。その方は特に気にも留めていないだろうけれども、今でも「小僧の分際で、あの時は失敗したなあ。」とよく思い返す。
私はその方の雰囲気がとても好きだった。ハンサムでお洒落で格好良いのだがこれ見よがしでなく静かで品があった。駆け引きが無く、信頼してくれ、何でも相談してくれた。私も「この人のために!」という想いで仕事をした。私はその方から多くを教わり、そして随分助けていただいた。
先方の社員の間ではその方のことを「殿」と称した。私はよくある社長に対するニックネームかと思い、気にしなかったのだが、その方がある戦国武将の家系の13代当主だったということを後に知ることとなった。なるほど、滲み出るようなあの雰囲気の理由に合点がいったのを想い出す。我が家には戦国武将たちの兜24個がガラスケースに入った古い5月の飾りがあるのだが、例年一番真ん中の良い場所にその方の家系の兜を据える。つい一週間前にも息子にその兜の話を聞かせたばかりなのだ。
結局、その方の美術画廊がオープンしたときから残念ながらクローズするまで仕事のお付き合いは継続した。途中、私の結婚式にも出席いただきスピーチも引き受けてくださった。正直言うと、スピーチの内容は最初の少しだけしか耳に入ってこなかった。後はその方が私などのためにスピーチしてくれているという風景がまるで夢を見ているようで、また、その方が少々健康を害されているのにそれを押してお話いただいているという状況に涙が出そうになるのを抑えるので精一杯だったのだ。
ある時、こんなこともあった。私は一大決心をしてご夫妻をおひょいさんのワインバーにご招待したのだ。妻と4人でテーブルに着き、私はビンテージワイン用のデカンタージュクレードル(ボトルを蝋燭で透かして澱を見ながらハンドルを回すとボトルがゆっくりゆっくりと傾きワインが注げる装置)というものをプレゼントさせていただいた。私は相応のワインを注文しようとしたのだけれど、その方は結局そのお店で最もリーズナブルなハウスワインの白と赤以外は頑として受け付けなかった。澱などあろうはずもないその真新しいボトルに、件の装置の出る幕もなかったのだが、その方はめいっぱい無理をしていた私にお気遣いなさったのだ。そういう方なのだ。ますます私は魅せられてしまうのだった。

来月、その方のお別れ会が旧華族会館「霞会館」で開かれる。そこへ行ったら、窓際のあの席で「ああ、古荘さんお久しぶりですね。」と静かで優しい声をきかせてくれる…今は、まだ、そんな気がしてしまうのだ。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2010年5月4日火曜日

サンドウィッチピクニックと逆上がり

ミルクブレッドやバゲットに、鶏の照り焼き、ハム、スライスチーズ、ゆで卵、レタス、キャベツ、プチトマト、ブロッコリー、マヨネーズ、ケチャップでサンドウィッチピクニックです。スクリューキャップのワイン、グラス、アンパンマンのりんごジュース、チョコレート、チーズケーキ、柏餅も持っていきました。

このゴールデンウィークで最大のニュースは5月1日に5歳の息子が初めて逆上がりに成功したことです。幾日も親子で頑張って練習をして、出来ないと言う息子を勇気付け、叱り、煽て、そして、或る日の夕焼け空の下、私が目の前で握りこぶしを作って「頑張れ!頑張れ!」と応援するなか、とうとう成功!初めて出来た息子とぎゅっと抱き合い喜びを分かち合うというドラマのようなことを想像していたのです。ところが、実際は、私が公園の入り口で自転車をとめているあいだに、息子が「見て!出来たよ!」というのでそちらを見るともう息子は鉄棒の上でこちらを見て笑っていました。肝心の瞬間は見れなかったのですがそれでもやっぱり嬉しかったな~。(下の動画はその翌日撮ったものです。)

 

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光