2018年6月16日土曜日

「箱根観光ホテル」のコーンブレッド






コーンブレッドは箱根観光ホテルのに限る。
ブレッドといってもイーストで膨らませるパンじゃなくて、甘くないパウンドケーキのようなもの。ホテルで粉を買ってきて、卵とバターと牛乳を加え自宅のオーブンで焼くのだ。たっぷりのバターとコーンの甘い香りと荒いコーングリッツの歯ざわり。ずっしり重く、表面はサクッと、中はしっとりほろほろの感じが何とも良いのだ。
でも、今では箱根観光ホテルという名前を知らない方も多いことだろう。






箱根には良い思い出も、そうでない思い出もある。
ずっと昔、箱根は大人の避暑地だった。今でも理事長に細川護熙氏がおさまる名門だが、「箱根カントリー倶楽部」が名実ともに日本一のゴルフ場だった頃、そこへ続く一本道に面したイタリ地区に母方の祖父の別荘があった。祖父の家族は全員箱根カントリー倶楽部の会員だった。僕も初めてクラブを握りプロにゴルフを教わったのはここだ。高台に位置する別荘からは、箱根カントリー倶楽部の緑のコースが全て眼下に見下ろせた。そして遠く富士山の頂と箱根外輪山の稜線がぐるりと見渡せた。同じ建物にお住いの評論家の竹村健一さんとビリヤードとか卓球をやったりしていたらしい。子供の頃のことだけどね。

大人になり、母は相続したこの別荘に通えなくなり、僕は物件の売買に立ち会わなければならなかった。簡単な契約を交わしただけで、3代に渡る僕たちの思い出の詰まった別荘は、一級建築士だという男性のものになった。彼が人物として一級かどうかまでは僕にはわからない。ただ、そういう意味も含め、無念だった。






子供の頃、箱根で「何を食べようか?』となると、妹のリクエストは「箱根観光ホテル」のスパゲッティーミートソース。僕の方はいつも、店の名前は覚えていないけれど薄暗い藪に囲まれた日本建築のその店の「雉重」と言っていた。僕にとって雉が食べられるのは箱根でしか出来ない特別な事だと何となく感じていたからだ。
ところが、大人になって「雉を使っていないものに雉という商品名をつけて販売してはならなくなった」というニュースを耳にすることとなった。これは言い換えれば鶏肉を調理して「雉重」としている店もあったということなのだ。う〜ん、僕が有難がって食べていたのは正真正銘の雉だったのだろうか、それとも、ただの鶏肉だったのだろうか?
とは言っても、今でも箱根は野生の雉の生息地だし、それに、子供ながらに高価な食べ物と感じていた記憶もある。おそらく、あれは本物の雉だったと思いたい。


今年、2018年の1月、「パレスホテル箱根」が閉館した。
このホテルの前身こそ、僕が子供だった頃のあの「箱根観光ホテル」だったのだ。
特別な場所がまたひとつ消えてしまった。





オフィスプロモ(株)代表取締役 古荘洋光