2011年6月18日土曜日

バンコク都記

久しぶりにタイ料理をいただいた。吉祥寺で食べようと思って色々検索したら、吉祥寺にはタイ料理屋さんが数多くあるが『アリムタ食堂』というのがずば抜けている、と書いてある。聞いた事ないなあと思いつつ地図を調べてみると、「何だあそこか~。」いつも行くところじゃんか。う~ん、まあいいか・・・というわけで行ってきたのだ。色々食べたがきしめんを炒めた感じの料理だけは美味しかったなあ。しかし、遠くとも六本木の『バンコク』へ行くべきだった。あそこは本物だから。

タイには想い出がある。学生時代の同級生がタイからの帰国子女でその娘のバンコクの自宅にも遊びに行った。門からスイミングプールつきの住居まで曲がりくねった道が続いていて、両側はまあ日本の感覚で言えば延々と芝生が広がっている。その芝生の所々に男達がしゃがみこんで何かをしているのが見えた。ずっと歩いていって何をしているのかが分かった。芝生を床屋さんが使うような小さな鋏でチョキチョキと整えているのだ。私には芝刈り機ではないその小さな鋏が衝撃的に映った。部屋へ通されて冷たいお茶をお手伝いさんが運んできてくれた。同級生は「ありがとう」とも言わない。そして、我々二人の前を通るときにお手伝いさんは膝を擦るようにして横切るのだ。私はその様子を大変気分を悪くして見ていたが、ついに耐え切れず同級生に向かってこう言ったのだ。「あんなことをさせるな。君はそんなに偉いのか。女王にでもなったつもりか。」と。 実は、横浜の貿易商だった私の母方の祖父の家に「おさくさん」というお手伝いさんが居た。おさくさん専用の部屋もあった。彼女は家族の一員ように大切にされていた。決して召使のような扱いはされていなかったのだ。それで、私は余計に頭にきたのであった。

さて、その後、バンコクで同級生のその娘と話しをし、正にカルチャーショックを受けた。私こそ何も分かっていないというのが彼女の言い分だったのだ。もしもお手伝いさんに良かれと思ってフレンドリーに接してしまったら、彼女に間違った習慣を植えつけてしまう。すると、彼女は他所で雇ってもらえなくなりその後の人生において生活できなくなってしまうのだ。また、庭の手入れ用に芝刈り機を買い与えてしまったら仕事がすぐに終わってしまう。今のままの小さな鋏であれば何人もの男たちが仕事として1年中この家の芝だけを整え続けることが出来るのだ。タイの上層の人々はそうした下級階級の多くの人々の生活を支えることに責任を持っており、そうした強い意識を持っているのだ。まだ学生だった私は何も知らなかったのだ。日本人は階級とかクラスについて何も知らない。日本人の誰もが平気でパリのエルメスやシャネルのブティックへ入って行く。私も人のことは言えない。この旅行中、THE ORIENTAL BANGKOKのle Normandieでネクタイを着用していなかった私はこのフレンチレストランが用意しているおのぼりさん用の貸しネクタイのお世話になったのだから。

しかし、この五つ星ホテルの前に陣取っていた屋台の鶏の足先(指)の照り煮は実に美味かったなあ。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光