同級生が次々と定年を迎え、私も今後の人生について考える機会が多くなってきました。そんな折り、10月10日に神奈川に住む母が帝京大学溝口病院に入院。ただ、溝の口とは言っても、最寄り駅は隣の高津駅なのですが。9月に母がどこかで口にした松茸ご飯に松茸が少ししか入っていなかったことを残念そうに話していたことを思い出し、大きな松茸をこれでもかと炊き込んだ松茸ご飯と母の好きな霜降牛ステーキを塗りの重箱に詰めてなるべく冷めないように新聞紙とタオルで包み持参しました。
この量に上の写真の松茸全量入りです。 |
しかし、母には匂いも味もよくわからないようでほんのひと口しか食べられませんでした。『今、1番美味しく感じるものは冷たいジュースなのよ。』と自虐的に言う母に、こんなものなどまだ食べられるわけのない時期に持って来たことを後悔しましたが、それでも母は喜んでくれました。身体がひと回り小さく見え、聞き出そうにも大きな夢も持ち合わせていない母でしたが、過去の記憶はしっかりしており、懐かしそうにニューヨークのコロンビア大学への半年程度の短期留学した時の話などをしていました。しばらくすると、『遠くまでお見舞いに来てくれることよりも、あなたが自分の家族を立派に大きくしてくれていることの方が親孝行で1番安心なことよ。』と言い、『さぁ、もう帰りなさい。』と私を見送りました。帰りがてら、「隣の駅で下車して、忘れてしまっているかも知れないあの坂道を探してみようか」という考えが過ぎりましたが、それは思うだけにとどめました。
10月13日、私は還暦を迎えました。7月にせがれも二十歳になり、私は第二の人生を踏み出したところです。
古荘洋光