2011年10月9日日曜日

死の朝

ペパーやガーリックなど数種類のソーセージ、ラディッシュなどのサラダ、フルーツ、LE GROTTE REGGIANO LAMBRUSCO ROSSO SECCO(イタリアの赤のスパークリング)、チーズ数種類。此処の処、こんな食事が多い。チーズを美味しく食べるためのメニューなのだ。今宵のチーズは、ピエール・ロベール(写真左)、クロミエ・サンジャック(右)、そして、リヴァロ(中央)。
白カビのチーズに嵌り、少しずつ癖のあるチーズへ進んできたので、そろそろ強い風味のウォッシュが再び食べられるようになっているのではないか?と考えたのだが・・・。リヴァロはこのタイプのウォッシュだ。
私には、この10年間食べられないでいる物がある。それが、オレンジ色に熟成が進んだウォッシュチーズなのだ。それには、訳がある。オレンジ色に熟成したウォッシュチーズを口に含むと、私の前から楽しいはずの食卓が消え、冷たく暗く悲しい風景が見えてくる。それは、肝臓と腎臓を患い亡くなった朝の父の部屋だ。およそ10年前の真冬の朝、電話に出ない父の部屋をひとり訪ね、何度呼び鈴を押しても返事がなく、どうしようもない絶望的な予感の中、私は前の晩に本人から預かった父のキーを恐る恐る鍵穴に入れた。マンションの鍵の開く冷たく大きな音が響く。ドアを開け、靴を脱ぐ。カーテンが引かれたままの真っ暗な中、何度呼びかけても父からの返事はなかった。カーテンを開き、ベッドの方へ進むと、眠っているかのような父がいた。頬は冷たくなっていたが、まだ、布団の中は温かかった。救急車が到着するまで、父の顔を抱きしめ、懺悔するように話しかけた。
その時の匂いが今でも忘れられない。
救急隊員から父の死を告げられた。もちろん自分でも分かっていたのだ。父の死を頭で認識しながらも私は救急車を呼んだ。「父が息をしていない。」そう説明をした。自分で結論付けられなかったのだ。誰かにはっきりと言われるまでは父の死を認めることができなかった。
父の死からもうすぐ10年になる。時間が経過し、リヴァロを食べても、もうあの悪夢を見なくなっているかもしれない、そう思ったのだが駄目であった。私はおそらく、一生食べられるようにはならないのだろう。それは、私が父の死に責任を負っているという思いがあるからに他ならない。そして、そこからは一生逃れることなど出来そうにないからだ。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光