2011年12月25日日曜日

Merry Christmas


2匹の生きているオマールエビを戦わせる息子。彼にとっては、バルタン星人のソフビ人形の様なものかもしれません。しかし、子供とは何と残酷な生き物であることか。

茹でたてのオマールエビ、自家製ローストビーフ、タラバガニ、スパークリングワイン、コート・ド・カスティヨンの赤、ドイツのアイスワイン、シャンメリー、息子と妻の作ったケーキ、それと、息子が学校で作った紙粘土の「いきものケーキ」。
姿は悪いが、味は中々のものでトップスのチョコレートケーキそのものだ。それ以上に胸のあたりがくすぐったいような、幸せな味がした。
クリスマス・イヴの翌日は、食べ残しをバターで炒めてソースアメリケーヌを作った。これって家族だから出来るんだよなあ。

生きたエビさんに失礼のないよう、全部、大事にいただきました。とても美味しかったです。


オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年10月23日日曜日

キャビアはお好き?

先日、ランプフィッシュの卵を食べ、後味(だけではない)が悪かったので、今夜は正しくチョウザメのものを頂いた。現在のカスピ海では過去の乱獲により実質的にチョウザメの禁漁らしく、昔の私の様に一度にベルーガ、セブルーガ、オシェートラを食べ比べる訳には行かない。現在、主に手に入るのはアメリカ産のバトルフィッシュ(チョウザメの一種で三越ではセブルーガとほぼ同一との説明があった)、または養殖のチョウザメなのだ。今回はアメリカ産を試す。食卓には他に、シャンパーニュの代わりにパーカーポイント高得点のメキシコ産のスパークリングワイン、そして、キャビアに合うとされるフレッシュなチーズ「ブリア・サヴァラン」を初め、ロジュレ(白カビチーズ)、ピエダングロア(ライトなウォッシュ)。これに、ソーセージとサラダ。メゾンカイザーとドミニクサブロンのパンが並ぶ。
さて、アメリカ産のキャビアは、小粒ではあるがわずかに緑がかった薄いグレーの中に黒い点々が見える姿も、舌触りも、独特な香りも確かにキャビアであった。キャビアに合うとされるものはさまざまにあり、ブリア・サヴァランの他に、ブリニ、スモークドサーモン、ゆで卵など、色々言われるが、要は、紙の外箱に比べて過小でさらに上げ底極まりないガラスの容器からもその貴重性は明らかなのであるが、いかにその量を増やして大勢の客に食べさせるかということなのではないだろうか。私は、何に合わせてもその真価が分かりにくくなるばかりだと思う。私の考える一番の食べ方は、勇気を出してえいやとスプーンですくって一口に頬張り、卵の粒の決してプチプチとはじけず何ともだらしのない印象を伴いながらつぶれてゆく感触、そして、グニュグニュべたべたと舌にまとわりつく愉快でない感触を味わい、その感触そのままにキレの無い味と生臭い魚の油の匂いに集中するというものである。ここまで読んでいただいてすでにお気づきであろう。そう、私はちっともキャビアなんて好きではないのだ。・・・と言いつつ、私が無理に食べさせようとしたのが原因で「キャビアなんて不味いから要らない!」と言って小学1年生の息子が暴れテーブルに散乱したキャビアを一粒残らず拾って食べてしまうのが私なのだ。だって、高かったんだからさあ。布巾でサッサッてわけにはねえ。ですよねえ。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年10月13日木曜日

ワインの深淵

自分の誕生日にはフォアグラとソーテルヌと決めていたので今夜はその通りにした。他にエビグラタン、ランプフィッシュの卵、サラダ、バゲット、チーズ、タルトタタン、アールグレイ、それに嬉しいバースデイソング。成城石井で買ってきたフランス産ガチョウのフォアグラは今ひとつ満足感に浸れない代物で、これなら、自分でフレッシュのフォアグラブロックから作った方がずっと美味い。クリスマスにはまた作ろうと思う。

ところで、美味と美酒の組み合わせは色々言われるが今日の組み合わせは本来なら良いものであろう。有名な生ガキとシャブリ、キャビアとシャンパーニュという組み合わせは、単に高級な物同士の組み合わせでしかないし、むしろお互いを不味くしてしまう。この「食事に何を合わせるか」という話だが、一流ソムリエとされる田崎氏の持論に私は猛烈に反論したい。彼は、食材に含まれるエッセンスと同じ要素を持ったワインを合わせるのだ。例えば、カエルに石灰の様な香りがあるから、合わせるワインは石油香のあるリースリング、というのだ。これは、一見理論的に聞こえるし、説得力がある。しかし、これは客に薦めた高いワインに反論されないための彼なりの理論武装だと思う。私の意見は全く違う。「マリアージュ」というのは、全く別の種類のものが合わさって初めて生まれるものというのが私の考えだ。人間同士の「結婚」もそうかもしれない。それでは、濃厚なガナッシュのデセールに合う飲み物は何か。田崎氏の理論からすれば濃くて甘いココアということになろう。さて、それはいかがなものか。では、私の正解は何か。砂糖抜きのエスプレッソだ。もっと簡単に言おう。餡団子にお汁粉を合わせるか?緑茶でしょ?「全く違う者同士が出合いお互いを高めあうこと」。それが私の考える「マリアージュ」だ。そうでなければ、神は何故違う人間をこんなにも創造したのか。(私は無神論者なのだが。)

バブルの時代、ワインブームというものがあり、私も随分と飲んだ。私は何かに嵌ると、熱中し、その分野の頂点を体験し、納得し、冷却する。私のワイン探求は初めは名もなきボルドーシューペリュールから始まった。この時、今まで飲んでいたものとは全く違う風味、葡萄由来では無いと思わせる味に驚いたのだ(今では解明しているが)。そして、ボルドー、ブルゴーニュ、ソーテルヌに興味が湧き、しばらくバローロやバルバレスコあたりをうろうろとしてみたものの、ボルドーに戻りポイヤックやポムロールに捕まり、その後、一気に有名ワインを飲み比べた。ラトゥール、トロタノワ、イガイ、ディケム、クリュグ、ドンペリニヨン、ラフィット、パルメ、オーブリオン、ムートン、エシェゾー、グランエシェゾー、シャトーマルゴー、DRCリシュブールとロマネサンヴィヴァンとラ・ターシュ、ペトリュース、モンラッシェ・・・。この頃の私の夕食は、ビゴのルヴァンというパン、バター、ワイン一瓶、以上。その後、倒れ込むように就寝、という日々だった。
一番美味しいと感じたのは赤はシャトー・ラトゥール、白は、ドメーヌミシュロ・ムルソー・ジュヌヴリエール、飲むのに一番緊張したのは元町のフレンチレストラン霧笛楼で飲んだ1940年のボルドー・マルゴーのローザンガシイだ。コルクを抜くソムリエの手が震えていたのを今でも思い出す。

しかし、しかしなのだ。最近、チーズは同じ銘柄であっても、レストランで最高の熟成具合でいただくのと、スーパーで気軽に購入したのとでは全くの別物(カスタードクリームと消しゴム、香水と塩水ほどの違いだ)ということに驚いた事をこのブログにも書いた。だとしたら、私が飲み尽くしたと思っていたワインは本当の味だったのだろうか?私は思う。ワインは生まれ、よちよち歩き、成長し、成熟し、枯れ、死ぬ。それも同じボトルの中で。おそらくは、最高の輝きを見せるのは一瞬だろう。多くの女優がそうであるように。
開高健「ロマネコンティー1935」を読みながら、私はそこに登場する最高のワイン、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティーのラ・ターシュを飲んだ。その時は、そこに正に書いてあるにもかかわらず、思いもよらなかったのだが。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光







シャトー・ムートン・ロートシルトは毎年異なる画家によるラベル(1973年ピカソ、1988年キースヘリング等)が有名だが、この1993年のアートは アメリカでは販売の許可が下りなかった。幼児との性交渉を想起させるというのがその理由で、この年、アメリカでのラベルは白紙となっている。私がラベル買 いした唯一のワインだ。ムートンでは他に、1979年シャトームートンバロンフィリップ、1980年シャトームートンロートシルト、1993年ルセカンド ヴァンドムートンロートシルトをいただいた。繰り返し試したのは感動がなかったからだ。その名声の在りかを確かめたかったのだが、しかし、私には最後まで 見つけることができなかった。私には広告に長けたブランドをより厳しく評価する癖があるのかもしれない。





2011年10月9日日曜日

死の朝

ペパーやガーリックなど数種類のソーセージ、ラディッシュなどのサラダ、フルーツ、LE GROTTE REGGIANO LAMBRUSCO ROSSO SECCO(イタリアの赤のスパークリング)、チーズ数種類。此処の処、こんな食事が多い。チーズを美味しく食べるためのメニューなのだ。今宵のチーズは、ピエール・ロベール(写真左)、クロミエ・サンジャック(右)、そして、リヴァロ(中央)。
白カビのチーズに嵌り、少しずつ癖のあるチーズへ進んできたので、そろそろ強い風味のウォッシュが再び食べられるようになっているのではないか?と考えたのだが・・・。リヴァロはこのタイプのウォッシュだ。
私には、この10年間食べられないでいる物がある。それが、オレンジ色に熟成が進んだウォッシュチーズなのだ。それには、訳がある。オレンジ色に熟成したウォッシュチーズを口に含むと、私の前から楽しいはずの食卓が消え、冷たく暗く悲しい風景が見えてくる。それは、肝臓と腎臓を患い亡くなった朝の父の部屋だ。およそ10年前の真冬の朝、電話に出ない父の部屋をひとり訪ね、何度呼び鈴を押しても返事がなく、どうしようもない絶望的な予感の中、私は前の晩に本人から預かった父のキーを恐る恐る鍵穴に入れた。マンションの鍵の開く冷たく大きな音が響く。ドアを開け、靴を脱ぐ。カーテンが引かれたままの真っ暗な中、何度呼びかけても父からの返事はなかった。カーテンを開き、ベッドの方へ進むと、眠っているかのような父がいた。頬は冷たくなっていたが、まだ、布団の中は温かかった。救急車が到着するまで、父の顔を抱きしめ、懺悔するように話しかけた。
その時の匂いが今でも忘れられない。
救急隊員から父の死を告げられた。もちろん自分でも分かっていたのだ。父の死を頭で認識しながらも私は救急車を呼んだ。「父が息をしていない。」そう説明をした。自分で結論付けられなかったのだ。誰かにはっきりと言われるまでは父の死を認めることができなかった。
父の死からもうすぐ10年になる。時間が経過し、リヴァロを食べても、もうあの悪夢を見なくなっているかもしれない、そう思ったのだが駄目であった。私はおそらく、一生食べられるようにはならないのだろう。それは、私が父の死に責任を負っているという思いがあるからに他ならない。そして、そこからは一生逃れることなど出来そうにないからだ。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年10月6日木曜日

Macarons a la ganache/LA MAISON DU CHOCOLAT

フランスから空輸されているというこのミニマカロン。見た目よりずっとガナッシュがたっぷり入っていて満足できるのだ。コンフィチュールのマカロンは無く、全部中身はガナシュというのがここらしいのだが、それだけに、挟まれたガナッシュは流石といった味だ。
そうかと言って、自宅でこの味の再現に挑戦できないわけではない。マカロンもガナッシュも、我が家の本棚にはメゾン・デュ・ショコラ創設者であるロベール・ランクス氏のオリジナルレシピがあり、冷蔵庫には、アーモンドプードルも卵もチョコレートも生クリームもあるのだから。
・・・いや、今晩はやめておこう。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年9月28日水曜日

Othello

今日試したOthelloというネーミングのチョコレートはバニラのホワイトチョコレートとキャラメルのビターチョコレートの2層ガナッシュというのだが、しかし、残念ながらバニラもキャラメルも少しも香らない。・・・それこそが「悲劇」ということか。名誉のために作者の名は明かさないでおくがShakespeareではない。
あと、ふたつ。残るDrageeは、幸福か、健康か、富か、長寿か、それとも・・・。


オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年9月27日火曜日

薔薇のチョコレートのお話

今夜は、銀座和光のトリュフナチュールとドラジェ、さらに新作の自家製ガナッシュまで食べてしまった。今回のガナッシュは煙の上がるほど焦がしたカラメル、生クリーム、フォアローゼズ入り。最近のチョコレートを食べるペースは速過ぎるようだ。気をつけないと。写真をご覧いただこう。フォアローゼズの薔薇の絵のラベル、薔薇のお皿、そして、写っているグラスのブランド名にも薔薇が隠れている。ただし、この話、当のフランス人には通じない。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年9月24日土曜日

自家製ガナッシュ


此処のところ、また私的なチョコレートブームが来ている。9月13日に催されたRestaurant-IでのLA MAISON DU CHOCOLATさんのパーティーがきっかけだろう。来年のバレンタインで発表される数々のボンボン・デュ・ショコラを頂き、フォアグラや白レバーや穴子等とカカオを合わせた実験的な料理を賞味するうちに目覚めてしまったのだ。医者に止められたチョコレート三昧の日々がすでに辛い思い出ではなくなっていた。昨晩はWAKOのボンボンやオランジェットもいただいた。今日は久しぶりにガナッシュを作った。思い立ってすぐなので、ヴァローナやオペラのクーベルチュールは家には無い。材料は森永の板チョコ4枚、バニラビーンズ、生クリーム、自家製のサクランボリキュール、仕上げのバンホーテンカカオパウダー。
混ぜるときはゆっくりと。それを忘れるほど早く食べたかったのだ。断面の気泡がそれを物語っている。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年9月17日土曜日

La Maison du Chocolat




私のチョコレートへのクレイジーな嵌りようはこのブログでも過去に紹介しているが、思わぬ急展開を伴い仕事に活かされることとなった。私のコーディネイトする番組にフランスからの素晴らしいお客様を招くことができたのは非常にエキサイティングな出来事だった。ラ・メゾン・デュ・ショコラのクリエイティブディレクターであるジル・マルシャル氏は大変気さくでユーモアのセンスに溢れた方。同氏をお招きしての収録はこの上なくホットな時間となった。InterFMにはこの1回のオンエアのためだけに異例の番組宣伝もつけていただくことができた。この件は同番組への評価として受け取らせていただいている。また、このような機会をいただいたDeRain様, Gilles MARCHAL様、ラ・メゾン・デュ・ショコラ・ジャポン様、ヴィジョン・エイ様、松屋銀座様に改めて御礼申し上げたい。
*お好きな方は是非番組をチェックしていただきたい。
オンエア日時:2011.9.25, 15:30-15:45
放送局:InterFM
番組名:Rendez-vous chez ReeSya

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年6月18日土曜日

バンコク都記

久しぶりにタイ料理をいただいた。吉祥寺で食べようと思って色々検索したら、吉祥寺にはタイ料理屋さんが数多くあるが『アリムタ食堂』というのがずば抜けている、と書いてある。聞いた事ないなあと思いつつ地図を調べてみると、「何だあそこか~。」いつも行くところじゃんか。う~ん、まあいいか・・・というわけで行ってきたのだ。色々食べたがきしめんを炒めた感じの料理だけは美味しかったなあ。しかし、遠くとも六本木の『バンコク』へ行くべきだった。あそこは本物だから。

タイには想い出がある。学生時代の同級生がタイからの帰国子女でその娘のバンコクの自宅にも遊びに行った。門からスイミングプールつきの住居まで曲がりくねった道が続いていて、両側はまあ日本の感覚で言えば延々と芝生が広がっている。その芝生の所々に男達がしゃがみこんで何かをしているのが見えた。ずっと歩いていって何をしているのかが分かった。芝生を床屋さんが使うような小さな鋏でチョキチョキと整えているのだ。私には芝刈り機ではないその小さな鋏が衝撃的に映った。部屋へ通されて冷たいお茶をお手伝いさんが運んできてくれた。同級生は「ありがとう」とも言わない。そして、我々二人の前を通るときにお手伝いさんは膝を擦るようにして横切るのだ。私はその様子を大変気分を悪くして見ていたが、ついに耐え切れず同級生に向かってこう言ったのだ。「あんなことをさせるな。君はそんなに偉いのか。女王にでもなったつもりか。」と。 実は、横浜の貿易商だった私の母方の祖父の家に「おさくさん」というお手伝いさんが居た。おさくさん専用の部屋もあった。彼女は家族の一員ように大切にされていた。決して召使のような扱いはされていなかったのだ。それで、私は余計に頭にきたのであった。

さて、その後、バンコクで同級生のその娘と話しをし、正にカルチャーショックを受けた。私こそ何も分かっていないというのが彼女の言い分だったのだ。もしもお手伝いさんに良かれと思ってフレンドリーに接してしまったら、彼女に間違った習慣を植えつけてしまう。すると、彼女は他所で雇ってもらえなくなりその後の人生において生活できなくなってしまうのだ。また、庭の手入れ用に芝刈り機を買い与えてしまったら仕事がすぐに終わってしまう。今のままの小さな鋏であれば何人もの男たちが仕事として1年中この家の芝だけを整え続けることが出来るのだ。タイの上層の人々はそうした下級階級の多くの人々の生活を支えることに責任を持っており、そうした強い意識を持っているのだ。まだ学生だった私は何も知らなかったのだ。日本人は階級とかクラスについて何も知らない。日本人の誰もが平気でパリのエルメスやシャネルのブティックへ入って行く。私も人のことは言えない。この旅行中、THE ORIENTAL BANGKOKのle Normandieでネクタイを着用していなかった私はこのフレンチレストランが用意しているおのぼりさん用の貸しネクタイのお世話になったのだから。

しかし、この五つ星ホテルの前に陣取っていた屋台の鶏の足先(指)の照り煮は実に美味かったなあ。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光

2011年6月4日土曜日

コーヒーの淹れ方

ペーパーフィルター、フレンチプレス、スイスゴールドフィルターなどなど。色々試しましたが今はこの方法に落ち着きました。ドリップ式ではこの方法をお勧めします。
ヤフオクで100円で落札させていただいた龍文堂製。鉄瓶で湯を沸かすとまろやかな味になるような気がします。ステンレスケトルほど少しずつ注げないのは残念なところではあります。綿100%の布を使います。これが重要です。ネルではなく平織りをお勧めします。写真の布は医療用のコットンを丸く切り抜いたものです。ペーパーフィルターは木の匂いがするし、きめが細かすぎる。ネルは使用に煮沸や水に浸したうえでの冷蔵庫保存など手間がかかり過ぎますが、この布ならお湯で手洗いして干すだけです。平織りですからすぐに乾きます。もちろん、ネルで言われるような嫌な匂いは皆無です。
豆はお好みで、ただし、コーヒーを淹れる直前に手で挽きます。自分で生豆からの焙煎もやりましたが、台所が飛び散った薄皮で汚れますのでやめました。手で挽くと、電動機械の高速回転と違い熱が発生しないと言われますが、家に電動機械が無いだけなのです。この儀式が期待を高めるのだと思って頑張って挽きます。挽き立ての良い香りはいつでも幸せな気持ちにさせてくれます。因みに薄皮を取り除く効果はそれほどありません。私は、焙煎後の豆をぺティナイフでひとつひとつ割り、中のシルバースキンをすべて排除したことがありますが、苦労ほどの成果はありませんでした。(シルバースキンだけでお湯を注し、どんな味になるのかもやってみました。)まず、豆抜きでお湯を通します。器具が温まり、コットンも湿らせることができます。カップも温めておきます。次に豆を、湿らせたコットンの中に入れたら、今度はなるべく少しずつ雫を垂らすようなつもり豆全体を湯で濡らします。よく、蒸らしといわれる作業です。(私はこの蒸らしだけを温めた赤ワインでやってみたこともあります。)下からコーヒーの最初の一滴が落ちたらそれ以上は湯を注さず暫く置きます。30秒ほど経ったら、豆より上にはお湯を溜めないつもりで、ゆっくり、じっくりと入れます。一気に入れると何故か渋皮のような匂いばかりがします。ここでは、急いでも得られるものは何一つありません。さあ、コーヒーが入りました。写真はどちらもデミタスカップです。手描きのアウガルテンの絵付けは明らかに柿右衛門の影響を受けています。アウガルテンは独身時代の妻からのプレゼントですが、今は何故か主に妻が使っています。大倉陶園のカップは結婚祝いに母から(母は祖母から)譲り受けたものです。いずれにしてもたくさんは抽出しないことです。その理由はたっぷり抽出している最中にちょっと別のカップに抽出途中のコーヒーを入れて味見をすればお分かりになるはずです。たっぷり飲みたい時、私は丁寧に入れたコーヒーに沸かしたてのお湯を注しています。と言っても、あまりやらないですが。表面に浮いた油分。えっ?不味そう?いや、これがコクと旨味には必要なのです。ペーパーではこれが出せません。エスプレッソではこれが100%味わえます。ですから、どんな入れ方をしたところでドリップは、正直、エスプレッソには敵いません。 コーヒーを注ぎ終わったポットの底にはこれ位(もやもやと)コーヒーの微粒子が残ります。決してざらざらとはしません。巷ではスイス製のゴールドフィルターの評価はすこぶる高いですが、私にはざらついた口当たりがとても耐えられません。 紙は臭う。ネルは手間がかかる。フレンチプレスは論外。紅茶ならまだしも、あれをコーヒー器具として売るのはいかがなものかと。ゴールドフィルターもざらつく。どの方法にも欠点があるのです。一方、平織りのコットンは、油分やコクが充分残り、まろやかで深い味わいのコーヒーを引き出します。ドリップでしたらこれが私の一番のお勧めの方法です。


豆にもいろいろあり、ほとんど試しましたが、正真正銘本物のコピルアク があるのなら是非一度飲んでみたいですね。

オフィスプロモ株式会社 代表取締役 古荘洋光